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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求番号 |
資料種別 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
岡町 | 007388663 | 989.8/ド/ | 一般図書 | 成人室 | | 在庫 |
○ |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
ヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカ マリア・シェフチク 田村 和子
世界大戦(第二次) 強制収容所 ユダヤ人 ホロコースト(1939〜1945)
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1003000305217 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
強制収容所のバイオリニスト ビルケナウ女性音楽隊員の回想 |
書名ヨミ |
キョウセイ シュウヨウジョ ノ バイオリニスト |
副書名 |
ビルケナウ女性音楽隊員の回想 |
副書名ヨミ |
ビルケナウ ジョセイ オンガク タイイン ノ カイソウ |
著者名 |
ヘレナ・ドゥニチ‐ニヴィンスカ/著
マリア・シェフチク/記録
田村 和子/訳
|
著者名ヨミ |
ヘレナ ドゥニチ ニヴィンスカ マリア シェフチク タムラ,カズコ |
出版者 |
新日本出版社
|
出版年月 |
2016.12 |
ページ数 |
270p |
大きさ |
20cm |
ISBN |
4-406-06072-1 |
ISBN |
978-4-406-06072-1 |
分類記号 |
989.86
|
内容紹介 |
もしもわたしにバイオリンがなかったら、アウシュヴィッツを生きのびることはできなかったでしょう。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の女性音楽隊メンバーだった著者が、強制収容所での生活などを克明に記す。 |
著者紹介 |
1915年ウィーン生まれ。10歳からポーランド音楽協会高等音楽院でバイオリンを習い始め、大学で教育学を学ぶ。アウシュビッツ強制収容所ビルケナウ女性音楽隊のメンバーであった。 |
件名1 |
世界大戦(第二次)
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件名2 |
強制収容所
|
件名3 |
ユダヤ人
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(他の紹介)内容紹介 |
もしもバイオリンがなかったら、アウシュヴィッツを生きのびることはできなかった。101歳の生還者の“警告のための記憶”。 |
(他の紹介)目次 |
ウィーン生まれのルヴフ娘 音楽と学問の年月 戦争勃発 ソ連占領時代―一九三九年〜一九四一年 ドイツ体制 「わたしたちの逮捕理由は何ですか?」 ウォンツキ刑務所にて 家畜用貨車で未知の場所へ ビルケナウの監房にて 「ここにはせめて空間があるわ!」〔ほか〕 |
(他の紹介)著者紹介 |
ドゥニチ‐ニヴィンスカ,ヘレナ 1915年、ウィーンで生まれ、その後、ポーランドの故郷ルヴフに両親および二人の兄とくらす。10歳からポーランド音楽協会高等音楽院でバイオリンを習い始め、大学で教育学を学ぶ傍らも、音楽教育を受け続ける。1939年9月、ソ連軍のポーランド侵攻後、長兄ヤンはワルシャワで地下活動に入り、次兄ボレスワフはルヴフを出てイギリスに向かう。1940年6月、父親がルヴフにて病死。1943年1月、ヘレナは母親とともに逮捕され、ルヴフの刑務所に拘留された後、同年10月にアウシュヴィッツ強制収容所に移送される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 田村 和子 ポーランド児童文学翻訳家。1944年、札幌市生まれ。79〜80年、家族とともにポーランドのクラクフ市に滞在。93〜94年、クラクフのヤギェウォ大学に語学留学。96〜97年、東京外国語大学研究生。97〜98年、クラクフの教育大学で児童文学を学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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