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書誌情報サマリ
書名 |
私も「移動する子ども」だった 異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー
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著者名 |
川上 郁雄/編著
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著者名ヨミ |
カワカミ,イクオ |
出版者 |
くろしお出版
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出版年月 |
2010.5 |
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求番号 |
資料種別 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
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1 |
野畑 | 006510192 | 334.4/カ/ | 一般図書 | 書庫その他 | | 在庫 |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1002000151812 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
私も「移動する子ども」だった 異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー |
書名ヨミ |
ワタクシ モ イドウ スル コドモ ダッタ |
副書名 |
異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー |
副書名ヨミ |
コトナル ゲンゴ ノ アイダ デ ソダッタ コドモタチ ノ ライフ ストーリー |
著者名 |
川上 郁雄/編著
|
著者名ヨミ |
カワカミ,イクオ |
出版者 |
くろしお出版
|
出版年月 |
2010.5 |
ページ数 |
221p |
大きさ |
19cm |
ISBN |
4-87424-474-6 |
ISBN |
978-4-87424-474-6 |
分類記号 |
334.41
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内容紹介 |
複数の言語との接触は同時に複数の「生き方」との接触だ-。移動というオプションで育まれた豊かな心の軌跡の物語。成長期に「移動する子ども」だった10人に、これまでの経験や、それが現在の仕事にどうつながったかを聞く。 |
著者紹介 |
大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。早稲田大学大学院日本語教育研究科教授。専門は日本語教育、文化人類学。文部科学省「JSLカリキュラム」開発委員等を務める。 |
件名1 |
外国人(日本在留)
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件名2 |
言語教育
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件名3 |
言語社会学
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(他の紹介)内容紹介 |
ご成婚前の華麗な本振袖からカナダ・ハワイでの三つ紋付まで107点の和装のお写真が語る美智子皇后陛下のエレガンス。 |
(他の紹介)目次 |
第1章 嫁ぎ、母になり―昭和三十年代(今に残る一枚のお写真 桜も散った昭和三十四年四月二十七日、小雨 機内で紅白梅の訪問着をお召しの美智子さま このお写真はご家族三人おそろいで) 第2章 ひたすらに歩み―昭和四十年から(昭和四十一年、ご結婚八年目のお写真 お二人がご成婚五十年をお迎えになった平成二十一年 昭和六十一年五月、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃) 第3章 日々を重ねて―平成の皇后として(お題「窓」嫁ぎくる人の着物を選びをへ仰ぐ窓とほき夕茜雲 平成十七年十一月十五日、一つの披露宴が帝国ホテルで開かれた 平成四年十月、日中国交回復二十周年に当たって 平成5年六月十一日、皇太子さまと雅子さまの結婚を祝う 平成二十一年四月十日、天皇陛下と美智子様の金婚式を) あとがき 美智子皇后陛下のエレガンス |
(他の紹介)著者紹介 |
木村 孝 染織研究家、随筆家。1920年、京都市生まれ。生家の後継者として染色を習うが、1944年より京都新聞文化部に籍を置く。1954年より染色個展を毎年開く。夫の赴任に伴い5年間ロンドン滞在。染織デザイン、服飾史などを学ぶ。2008年、国際的なビジネス界の賞「スティービービジネス女性大賞特別功労賞」を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 渡辺 みどり ジャーナリスト、文化女子大学客員教授。1934年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年ディレクターとして制作した「がんばれ太・平・洋」で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞を受賞。昭和天皇崩御報道のチーフプロデューサーとして報道情報番組を担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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内容細目
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1 セインカミュ
「外人」と呼ばれて、外人訛りのない日本語で返そうと思った
11-35
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セイン カミュ/述
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2 一青妙
台湾で中国語を話し、自分は台湾人と思っていた
37-56
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一青 妙/述
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3 華恵
ニューヨークで英語の本を読みふけっていた
57-75
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華恵/述
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4 白倉キッサダー
長野に着いたとき、「タイ語、禁止」と言われた
77-97
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白倉 キッサダー/述
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5 響彬斗・響一真
ブラジルで日本舞踊、和太鼓、三味線、歌を習っていた
99-118
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響 彬斗/述 響 一真/述
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6 コウケンテツ
大阪で生まれ、大人が韓国語混じりの日本語を話すのを不思議に思った
119-138
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コウ ケンテツ/述
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7 フィフィ
名古屋で育ち、アラビア語を話さなくなった
139-160
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フィフィ/述
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8 長谷川アーリアジャスール
埼玉で生まれ、イラン語を「使えないハーフ」と語った
161-176
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長谷川 アーリア ジャスール/述
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9 NAM
神戸で生まれ、「ベトナム語は話さんといて」と親に言った
177-198
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NAM/述
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